北欧いきたい

『北欧デザインを知る〜ムーミンモダニズム〜』渡部千春
北欧デザインを知る―ムーミンとモダニズム (生活人新書)

D&Dコンベンションに行ったり、フットサルに行ったりもしてますが、ソフトウェアアーキテクトから発展して建築およびデザインにも興味・関心が沸いているのですが、先日はエレクトロラックスのコーヒーメーカーを買ってご満悦してました。ということで、デザインと言えば北欧は外せません。


北欧デザインの製品と言えば決して少なくはない、どころか日本に入っているもので北欧デザインの製品は数多くありますが、そのいずれもが知らず知らずのうちに入ってきて馴染んでるというのが北欧デザインの凄い所です。引用>

個人差はあれ、概して日本で北欧文化に触れる機会は(略)少ない。
それとは知らずに生活にはいっているデザインとして中国産や東南アジア産の製品もあるけれど、それらのほとんどは値段の安さが理由となっている
(略)日本人との文化的密着度が低い割に、しかも値段が高い割に、北欧の製品は浸透しちえる。ここが北欧デザインの不思議なところである。

例としては、アリコンチェア(別名アントチェア)。ああ、あれね。そう、あれは北欧デザインです。



このように馴染むのは、決してモノ単体だけでの主張ではなくあくまでもそれを使う人との調和を元にデザインされているのが特徴かなと思います。

物品は形だけあるのではなく、使われることで存在の意味がある。「ライフスタイルの中のデザイン」というのならば、「何を持つか」よりもむしろ「どう使っているか」のほうが重要なのではないだろうか。

買うだけ買って一回も使わない有名ブランドのバッグとか沢山集めているけど、モノってのはなあ、それが価値のあるものであればあるほど使ってナンボなんだよ!と。


そんなわけで、基本的に北欧製の家具は物持ちがいい。50年とかザラ。ちなみに、コンピュータープログラムは5ヶ月がいいとこ、5年なんかアリエナイ

また、外見の装飾も無駄なものは排してシンプルになる。「装飾ではなく機能が形をつくる」というわけで。ただし、シンプルと単純は同じようで違う。

デザインを評する文章でしばしば「美しいライン」という言葉を使ってその造詣そのものの美醜について触れることがある。(中略)ラインを目で追ったときに目の運動そのものが気持ちよい、ということではないかと思う。
(中略)ハッリ・コスキネンのデザインを表現するときも、「美しいライン」という言葉ははずせない気がする。

そうなんだよ!ガンダムSEEDモビルスーツって無駄な装飾が多い上に曲線が汚く、デザインとしてすっごい不快感しか受けない。そこいくと曲線ではスゴッグゴッグあたりの曲線の美しさはマジで感動もの。装飾とゴツさでは連邦、特にZZがゴテゴテしながらも重量感と機能美を成り立たせているのが良い



ともかく、装飾やブランド名ではなく造形とラインに関心を持つと次第にそれがパーソナリティの一部になってくる。ノキアなんかの携帯は正しくパーソナリティに訴えかけてくるね。いずれにしろ、モノ単独が美しいというのではないのだよ

ものも人間(ユーザー)との関係性で成り立っているものなので、人間が亡くなれば、そのものとの関係性も切れてしまう。残ったものは、醜い言葉を使えば「残骸」だろう。残骸にも形があり、そこに「デザイン」があるにしても、デザイナーが作っているのはそうやって残る形なのではなく、ユーザーとの関係性なのである。
(略)今、「デザイン」というとなんとなくスタイリング重視で、ユーザーとの関係性を抜いてしまった形だけが取り上げられているような気がする。

ああ、ヘルシンキの市民プールでは男女共に素っ裸で泳ぐそうですワーイ!