偶然と偶然の交わる所に『縁』有り

『奇偶』山口雅也 角川ノベルズ
奇偶 (講談社ノベルス)

山口雅也と言えば『生ける屍の死』でミステリー界に衝撃を引き起こした奇才として万人に知られているわけでもないと思いますが、ともかく、あの作品は凄かった。そもそも推理小説において殺人・死は必然の要素である事を引っくり返しつつ、精緻なる論理で推理小説として抜群の完成度を誇るわけですから。

まあ、そんな山口雅也の新作を書店で発見、どんなストーリーかは知らないけど500ページ以上の京極に匹敵するボリューム感に惹かれて購入しました。そんな私の趣味はライトノベルならぬヘビーノベルである事を認識した23の夜。(9月23日)

でもって今回もやってくれました。

推理小説は敷き詰められる論理によって一見不可解な物事の因果関係を明らかにし、それによって真相を暴くと言うのが一般的な見解です。しかし、この物語では殺人事件も含めて大小様々の事件が発生しますが、そのどれもが『偶然』としか言いようの無い状況です。

  • ビルの上の電飾ダイスが落ちてきて死亡。ちなみにダイスは3個6ゾロ
  • 同じビルの上から調理師が飛び降りて、下にいたカジノの従業員に当たって両者死亡。たまたま持ってたダイスも3個6ゾロ

まあ、挙げればこんなものですが、物語のテーマとしては『偶然』を取り扱っています。偶然とは何か?偶然と必然の境界、そして話は八卦に繋がり終いには『生命の海』、集合的無意識まで飛びます。物語の大半はこの偶然に関する登場人物同士の議論で構成されています。


偶然、偶然とは言ってもそこには論理があるんだろというのが今までの推理小説の立場ですが、実際偶然は偶然のまま、詳細は伏せますが投げっぱなしで終わります。つい最近終わった種運命といい、清涼院流水といい、投げっ放しで終わる事はその作品そのものを投げっ放しで提供する事を意味し、嘲笑あるいは激怒(種運命は激怒パターン)を買うのが通例ですが、何故かこの物語は投げっ放しのはずなのに何かが終わったようで、終わっていないようで、でも何かが完結しているような気分にすらなってしまうのが恐ろしく、インパクトのある物語になっています。すっげぇ頭の悪いコメント
まあ、普通の人にはとてもオススメできない。しかし、ある程度の量子力学八卦、心理学の素養のある人が読めば偶然に関する議論はとても面白く読めます。カント、南方熊楠まで登場します。


かく言う私も最近2度程、偶然としか思えない状況に遭遇しました。嬉しい偶然の13時間後に悲しい偶然に遭遇するという実に面白い状況だったのですが、個人的な話なので伏せ。(そういうところを書けばウケるのにとわかっていながら)後から冷静に考えると失笑する程おかしかったのだけど。


実際、偶然で解決し、投げっ放しな所が純粋な推理小説としては余りにも異端すぎると言う事は否めないですし、推理小説の好きな人程「なんじゃこりゃぁぁっ!」と思ってしまうかもしれませんが、私には非常に思索に富む、深い作品でした。