NEETとNEETじゃない人の境界なんてない

働こうとしない人たち - 拒絶性と自己愛性 (中公新書ラクレ (178))
『働こうとしない人たち-拒絶性と自己愛性』矢幡 洋  中公新書ラクレ

NEETと呼ばれる人々の存在について、愉快に思う人は(当事者であるNEETであった場合以外に)あまりいないと思います。ていうか私自身、ものっそい不快に思います。
(ネットで検索中・・・)
でも、意外と不快に思っている人もいないみたいですね。客観的な分析をすれば、女性の『家事手伝い』と位置づけは同じだという意見もありますし、まあそれより成人男性は社会に出て働かなくちゃいけないという偏見へ警鐘を鳴らす声とかの方が多いし。自分もNEETになりたいって人も多いようです。じゃあとっととなれよ!仕事辞めて親元に帰ればいいだけでしょうが。


NEETはダメ人間・落伍者の象徴である。(だからなるべくそうならないように頑張るべき)
という命題は果たして真になり得るのか。とりあえず無意識的に問答無用で真にしつつ、でも何となくNEETの存在を社会が許容しているのが気持ち悪い原因かもしれません。NEETについて話す時に毎度「社会が悪いから」という結論に陥るのももう飽きましたしね。
そもそも的には働くのも働かないのも自身の責任であり自身の問題である筈なのに、それを社会に還元して自分は悪くない、社会が悪いんだって事にして問題解決のために何もしないのは男として格好悪い・・・
ああ、そういうことだったのか。この話終わり。


というわけにもいかないので、本について書くことにします。
働こうとしない人たち=NEETという前提はとりあえず成り立っていることにして、NEETの連中の心理が分析されているのはこの本です。
大きく分けてNEETとなる心理的状態及び行動は2つ。拒絶性スタイルと自己愛性スタイルです。
拒絶性スタイルはいわゆる消極的傾向のスタイルでDSMによると以下のように述べられています。

全般的に、社会的・職業的に適切に行動する要請に対する受動的な抵抗のパターン

だそうです。簡単に言うと足を引っ張るタイプ。
働く以上、望むと望まざるに関わらず誰かの言う事を聞かなければいけないのは当然の話ですが、これに対して消極的抵抗を行うということです。サボる、遅刻する、引き伸ばすなど。正面に立って「そういう命令には従えません」とはっきり言えないタイプです。
これがカウンセリングになると「情報提供には(言いたくない事もあるので)協力しない、でもいいアドバイスは欲しい」というスタイルになります。何かをして欲しいんだけど何かを強いられるのは避けたいタイプです。

この本では実際のカウンセリングの会話も掲載されていたのですが、そこでNEETであるD君とカウンセラーの会話ではD君はカウンセラーの質問に対し事実上の回答拒否をしています。

とはいえ、(こっから自分の考察)足を引っ張りたくなる時ってのは私にとっても全くないってことはないわけです。この本ではNEETという個人のパーソナリティーが拒絶性とは断言せず、あくまでもスタイルという点に留めています。つまり誰でも上記のようなスタイルをとってしまうことはある、ということです。

ていうことであれば、自分に思い当たる点があるなぁと読みながら思ってしまいました。