後髪伸ばしてる子供と英語ペラペラな子供どっちがむかつきますか?

日本の英語教育 (岩波新書)
望む望まざるに関わらず世間は国際化の波に乗り、英語ブームとなっています。正確には英語ブームと言うより、英会話ブームです。NOVAとかECCとか。


そんな中、英会話ではなく多読、つまり洋書をたくさん読むことによって英語力を向上させようという教育方針を打ち出し、運営しているサイトがあります。実際に大学の英語の授業でも導入し、学生の反応も良いようです。

システムを作ったのは私なんですけどね。

まあ、そっちはどうでもいいとして、最近またこの案件が浮上し、少し英語教育とやらに興味が出てきました。そこで買ってみた本なんですけど。

とりあえずわかったこととしては

  • 文部省の暗愚っぷり

 まあ、私がどうこういうつもりもないし、その資格もあるとは思っていませんが、最近教育関係の本を読む度にこの手の主張が多すぎます。研究室で文部省から研究補助金をもらうこともあるので、あまり声高には言えませんが。
2002年7月、文科省は「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」という政策を打ち出してきました。この政策のポイントは以下の2点です。

  • 具体的数値目標
  • 小学校からの英語導入

ところが、この本ではこれら2つのどちらのポイントに対しても批判をしています。前者に関しては、TOEIC何点とかそのように。まあ、数値目標を定めたまではいいかもしれません。この基準は英語教師に対しても課せられており、英語力のない英語教師を淘汰するためには妥当だと考えます。しかし、これは足切りに過ぎず、本当に『英語が使える日本人』育成には貢献できないだろうという見方です。TOEICで点を取るってことは受験英語でいい点とって大学に入るのと大差ない訳ですから。形が変わっただけ。
もう一つの「小学校からの英語導入に関してですが」英語がペラペラな小学生も気持ち悪いなというのが個人的な感想ではありますが、話だけは悪くないかなと思います。ただ、これもやりようによっては間違った道を歩む可能性があります。ぶっちゃけ、暗記の授業が一つ増えるだけっていうオチも笑えますが、ありえます。要は、やり方次第。でもやり方そのものは未だ固まっていない。


まあ、そもそもが(よくある話ですが)英語にしろ英会話にしろ、立派に話すためには単に文法をよく理解しているとか英単語を沢山知っていればいいという話でもないわけです。この本では、表出している英語能力の下、水面下に実に大きな英語の知識やバックグラウンドがなければいけない、としています。つまり表出している英語能力は氷山の一角というわけです。
大体そもそも、話すことないのに英語能力だけあっても意味はないと思いませんか?逆に話すことさえあれば日常会話なんて単語の繋ぎ合わせでどうにかなってしまうわけで。これを言ったら言い過ぎ感はありますが。


ところが、世間では「文法より英会話」「英語は早くから始めれば良い。できれば3歳から」のように英会話ブームに乗せられてあまり実のない英語教育が学校や他の機関でも行われています。笑える。
更に笑い所は、そうした民衆の気分に乗せられるままに本質的でない政策を施行しようとする文科省なんですけど、あまり笑うのも良くないのでやめます。