『陋巷』感想 最終

さて、そろそろこのブログもリニューアルしたいので、不定期にお送りし続けていた『陋巷に有り』感想もまとめたいと思います。

第1回では『陋巷に有り』の中国史における私なりの位置づけを述べ、何故読んだかという点について説明しました。第2回で『陋巷に有り』では「儒」について詳細に解説していることを述べました。第3回ではストーリー評価の分水嶺となる敵役とそれに対する主人公・味方側の関わりについて述べたいと思います。

メインの悪役は3人。組み合わせ的にはタイムボカンを彷彿とさせますが、立派な悪党です。

  • 少生卯

 3人のボスで外交担当ってところです。魯の国の貴族に取り入り下二人を使って様々な謀略を巡らします。悪の術者というよりは権謀術数に長けた政治家という感じなので孔子とライバル関係になり、政治的な争いを繰り広げます。術者としてのレベルも低くはないのですが、尼丘(孔子の郷里)にて犬に重症を負わされてから最終巻まではあまり出番なし。
 ただ、敵として見た場合、底の知れないキャラクターなので不気味な事この上ないです。孔子の影として陰陽に活躍しました。敵に回したら厄介だな。つくづく。表の動きは意図が読めないし、裏の動きは察知できない。敢えて誉めれば兵法のいい見本ですね。

  • 悪悦

 3人の中で性格最悪な術者です。とにかく陰険で執念深く、どうしたらここまで性格が歪むのか疑問にすらなります。少生卯の実行部隊長としての活躍を当初はしていましたが、少生卯が重症を負ってからはその陰険さと卓抜した術によって孔子顔回をあらゆる手段で苦しめています。最後には兵を用いて尼丘(孔子の郷里)を滅亡させてしまいます。
 しかもその死に際(話からの退場の仕方)も最後まで悪として膝を折らず、自分自身の悪に押しつぶされるという最後でした。まあ当初は小悪党というイメージだったのですがここまでの流れで潔いまで悪に徹したところは全く正対な意味で魅力のあるキャラクターになっていました。

  • 子蓉

 お色気担当(笑)。
 なのですが、この小説ではこのお色気に対しても『媚』術として術の領域まで洗練されており、この媚術の使い手として登場します。これにかかって孔子の弟子達ものきなみ骨抜き(というか精抜き)にされてしまい、そればかりではなく恐るべき呪いもかけてきます。術者としてはとても生き生きと描かれていたのが印象的。媚術だけではなく肉弾戦にも強力かつ凶暴であり、飢えた虎としての本性を持っています。
 悪役の中で唯一、尼丘の神に触れ、改心したキャラクターですが、彼女もまた天命を知り、命を落とします。生き生きとした悪の描写から神に触れた巫女としてのキャラクター性の変化は中々一見の価値アリです。

というわけで、『陋巷に在り』の魅力を語り尽くしたところで、そろそろリニューアルですな。