『授業の復権』 森口朗 新潮新書

授業の復権 (新潮新書)

最近、何も考えていない割には教育関連の活動も増えてきました。某IBM関係の研修会社のインストラクターだったりで、それなりに自分の教育観、教育方針も固まりつつあるのですが、最近、教育における自分の考え方以外にも他の考え方がありそうだということに気がつきました。

まあ、面倒なのと恥ずかしいのでそこらへんの解説は次回に回します。

この本では、低学力化が叫ばれている学校を舞台に様々な新しい授業を企画・実行した先生及び授業を紹介しています。
未成年者による凶悪犯罪や引きこもり、NEAT等、結局そこらへんの問題って学校に起因してしまう以上、教育と授業は避けられないでしょう。関係ないのはイラクのテロリスト位かな。

まあ、そういうわけですがいくつか面白いなと思ったトピックを紹介し、感想します。

  • 「仮説・推理・検証」で学ぶ科学の心

例えば、「四角形の1辺を2倍にすれば面積は4倍になる」という事はこの日記を見る方なら誰でも知っているでしょうが、北海道だったらどうでしょう?本当に面積が4倍になると言えるでしょうか。
と、こんなテーマで小学生に実験を行わせます。他にもバネや磁石などのテーマもありますが、ただ実験を行わせるだけではなく、仮説を立てて討論、推理し、実験を検証手段として使っています。

こんな僕は研究者のはしくれですから科学的な考え方−仮説を立ててそれを検証する事−ができるようにはなっています。しかし、このような科学的な考え方を知らずにSEとか言っている人が多いのがIT業界で、とにかく体力だけで間に合わせた質の低いプロダクトを量産していることは言うまでもない。SEって文系の大学生が簡単になれるものじゃなくて、精緻な論理的思考とそれに基づく科学的思考、それに広範な知識がないとなれないはずなのに...と常々思っているだけです。
SEに限らず、科学的思考ってのは便利で、自分の家から羽田空港に行く事にも使えます。本当か?
科学的思考があっても彼女はできませんから、過剰な期待はできないのですが、この授業は単なるディベートと異なり、正解(実験結果)があることや、何となくの仮説ではなく仮説の根拠を生徒に吟味させて考える力を養うあたり、興味深くなりました。

男と女の関係は仮説・実験では計れませんが・・・(また、そのオチかよ)

  • 「目に見える」算数への革命的転換

この部分では「原数学」という言葉が僕の心にクリティカルヒット。「未測量」「分析・総合の思考」「位置の表象」という3つの要素があるのですが、その解説もめんどいので端折りますが(気になる人は、遠山啓氏でググってもよいかと思います)、数学を学ぶ前に数学のための思考技術とも言うべきこれらのスキルを育成した上で数学を学ぼうというのが「原数学」の意味です。
学校で学んでいる事が役に立つかはともかく、このような思考技術ってあってこそ勉強・知識が活かされると言うのが人生20年余生きてきて実感しています。
どっかで触れた「思考停止」っていうのも、やる気とかの問題ではなく、技術である事は今更言いますまい。今まではともかく、これからこのような技術を学校で育成できるのであれば、興味深いなと思いました。