新富国論4

子供の頃、聖闘士星矢ごっこをしていました。3人くらいで遊んでいたんですが、僕はドラゴン紫龍を選べたんですね。ところが、残り二人の間でキグナス氷河がかちあってしまい、経済力のある(というか金持ちの家)我侭な方の友人がキグナスを取り、残りの人の良い友人は泣く泣く星矢を選びました。瞬?誰ですかそれは?要は、気を使って可愛そうな人の話。小学生からこんな事はありますよって言いたかったんです。
それが嫌になって他人との交流を避けるようになるってのは老若男女問わずよくある話だと思います。たかがアニメですが子供にとっては死活問題です。ところでポケモンの場合はヒトカゲゼニガメフシギダネだったらどれが一番人気なんですかね?どうでもいい話。


また、この話もう少し発展させると(今読んでいる本のまたしても受け売りになりますが)共同体への所属意識という話になっていきます。学校でもいいし企業でもいいですが、これもまた他人との交流・摩擦を強制させられる場です。
その中で自分にとって不都合があった時、あるいはストレスの種になるような不満があった時にどうするのかって話にもなります。
その1、泣き寝入り(或いは我慢)ってパターン。個人差があるもののどっかの段階で溢れてしまう危険がありますよね。忍耐は美徳だけど
その2、それはそれこれはこれパターン。泣き寝入りと似ていますが共同体とは別の場所で自己解決を図る方法。仕事で嫌な事があったから痴漢したりするパターンですね。いやそれは犯罪ですから、ストレスが溜まったので週末フットサルでもしてスカーッとするか。してきます今週の日曜。
その3、文句言いまくりパターン。不満があった時、それはちゃんと不満であると周りに伝えることは意味があることだと思います。ただ問題はその不満があくまでも個人的なものなのか共同体としてしての欠陥に類するものなのかは識別できなければいけないと思いますが。多くの場合、個人的な文句で終わってしまう。具体的には飲み会で絡むだけで終わる。
その4、提言パターン。不満が共同体の欠陥に関係した場合はそれをしっかり考えて共同体をよくするために何らかの働きをしなければなりません。

大体、この1〜4に属する働きを我々はケースに応じてすると思います。
ただし4番目に関しては明らかに訓練を必要とすることだと言うのが違うところ。泣き寝入りもそれはそれも文句もさして技術を必要としませんが、個人的な不満に対して思索の手を入れて、提案としてまとめるのは大袈裟に言えば政策立案の技術になります。もちろん学校(少なくとも高校以下では)ではまず教えていない事でしょう。ところがこれが社会人として豊かに生きるための条件ではないかと考えるわけです。他の人との恐竜もとい交流をより良くするためにはその総体である共同体をより良くしていく事ができる必要があるからです。そうした事が可能な個人で構成された共同体はそれぞれ所属する個人にとってどんどん良くなっていくに違いないと思います。