新富国論3

しばらく続いていなくて、忘れてた。

ただし(こっから自分の意見ですが)、この施策についてですがその戦略として「科学技術」を軸に置いています。また、これら科学技術への分析手法としてマクロ経済分析を採用しています。

これって結局『科学技術によってどんだけ儲かったか?』に陥りそうな気がものっそいしてきました。
もちろん、研究としてのフェーズが進めば、科学技術で実現できる豊かさと科学技術だけでは決して実現できない豊かさが見えてくると思います。少なくともとっかかりとしてはアリだと考えます。(述べられているように)日本という国は科学技術を資源とするより道のない国ですから。
ただし、社会を構成する最小単位である個人を分析することのできないマクロ経済分析を分析手法として持ってくることについては、評価はしやすいけれどそれ以上には意味がないと思います。GNPが何%上がったから幸せになりました、ではキャッチアップ時代と何も変わりませんがな。

もっとも、ミクロ経済だったらいいとか言うわけでもない。ミクロ経済は個人の幸せを分析する事は可能かもしれませんが、経済と言う面だけでしか分析できない危険性と、個人と個人の関わりによって創発される豊かさや幸福までは分析できるとは思えないからです。
とかく引き篭もりだのニートだのネットゲーだの別れた彼女だのを考えると、彼あるいは彼女単体であれば幸せなんだろうと思うものの、その幸せには他人との交流で産まれる何かが欠落しているように感じる今日この頃です。
教育(新人社員研修)の仕事などをしていると、他人がどう考え、どう物事を理解していくか、そういったプロセスを知っていくことが実はとっても面白い。もちろん、自分がそれら新人の意見から何かを創発することもあり、自分にとって豊かさの指標がちょっと見えてきたようです。

とは言え(口癖)、他人との交流から産まれる幸せ或いは豊かさと言っても、それは摩擦と表裏一体ですし何よりエネルギーを使うわけです。周りの人に気を使いすぎて寝込んでしまうという人も昨今では珍しくないと思います。前好きだった人がそんな感じでした。