『生贄を抱く夜』 西澤保彦 講談社ノベルズ

最後の話が秀逸ていうか爆笑
生贄を抱く夜 (講談社ノベルス)

なんかGreeのブログ更新の部分が変ですね。最近調子悪いやあいつら。

西澤保彦氏の超能力ミステリーの最新版です。超能力ミステリーというと、どうしてもミステリーにおける、謎・不条理を解決するために無理矢理持ち出してくると言う印象を受けるかもしれません。密室なんてテレポーテーションさえあれば簡単に作れるし、時間移動があればアリバイだって思いのまま。ということは、逆に「超能力がある前提でミステリーを書く」ということは凄い難しいことだと思ってます。(編集部注:この部分以前書いたものよりコピペ)

今作では、捜査する神麻嗣子からというよりは超能力を持つ犯人や関係者の視点から展開された物語が7本納められています。どれも超能力を利用したトリックとして楽しめました。ただ、細部の矛盾やアラがこれまでよりやや目立ちます。超能力に関わる部分はまだ目をつぶるとしても、必然性に乏しい推理が目立ってしまいました。
実際、一番面白かったのは最後の書き下ろし『情熱と無駄のあいだ』でした。テンポの良い女性の一人称による文章の流れとストーリー展開、西澤保彦氏はホント、女性の一人称がうまいなぁ・・・。でも、この特徴って要するに(別に何も要していないが)『なんて素敵にジャパネスク』始まる(と勝手に決めてみた)女性一人称私小説風小説と読むにはとてもじゃないが軽すぎる今で言うライトノベルの特徴なので微妙ではあります。


ついでに、私のライトノベル(どうせこのキーワードにリンク張られているだろうから知らない人は自身の無知を蔑みつつそっちを読んでください)に対するスタンスとしては、「それだったら漫画を読む!」の一言に尽きてしまいます。エンターティメント化したと言えど僅かながら文芸が残っているから小説を読むのにそれさえ除いた文章の羅列を「小説として」読む気にはなれませんわな。よっぽどの動機がない限り。
とは言え、「じゃあ普通の小説って何?ライトノベルとの境界線をどこで引くの?」と問われると答に窮します。実際この本だってライトノベルと言えなくもないわな。面倒だから「萌え」の要素が含まれているものをライトノベルであると無理矢理定義してみる。私の中で。


じゃあ「萌え要素のある小説を読んでいないの?」と自問してみると、これが案外そうでもない(「萌え」てはいないけどね)ので結局境界も曖昧、ポリシーも曖昧なままで思った小説を読んでいきます。