『陋巷に有り』感想・前編

さて、『陋巷にあり』完結ということで、作品全体への評価をまとめてみたいと思います。で、思ったんだけど、評価というと偉そうだから感想にしておきます。このブログはあくまで日常で私が感じた事を書く場所であって、作品の評価をするところではありません。まあ、いつものように箇条書きにして私の感じたポイントをまとめていきましょう。

中国のお話が好きという人は多いでしょう。三国志はやっぱり漢臭い魅力がありますからね。私もご多分に漏れず好きなんですが、これらのお話を単発で愉しむよりは連続的に愉しんでいます。どういうことか?

0.三皇五帝の時代(伏儀・女渦・神農やら):ここらへんはまだいい本がないけど、神話なので構わない
1.封神演義:漫画で有名になった話だけどその前に原作読了済み。女渦がダッキの黒幕なのは神話から繋がっている。孔子封神演義の周公旦を崇拝している。宝貝ババーンが楽しい。
2.陋巷に有り:周公旦の「礼」を納め、広めていく表の孔子封神演義以来繋がってきた仙術(というよりは呪術になったけど)顔回の話
3.戦国時代:海音寺潮五郎の『孫子』がバイブル。呪術は薄れ、(当時としてはの)近代的な戦争が展開されるようになる。ちなみに、孫子の師匠は封神演義太公望孫子は私の心の師匠。
4.始皇帝劉邦の漢建国:ここらへんは未読。次はここが目標なんだけど、司馬遼太郎くらいしかよさげなもんがない。
5.三国志:このように繋がる。漢末期の黄巾の乱から始まるのは言うまでもない。孔明が近代的戦争と呪術をミックスした戦い(対南蛮とか、イリョウの戦いの遁甲とか)はフィクションであることをさっぴいても面白い。ちなみに曹操が自分で『孫子』を要約したのは誰もが知っている話。だから曹操は私の兄弟子にあたる(と思う)。
6.五胡十六国・隋・唐・宋:ここらへんも未読。と思ったけど唐に『西遊記』があったか。孫悟空の別名斉天大聖は封神演義にも既出。
7.宋末期:『水滸伝』はここに位置する。三国志関羽の子孫がでてきたり、公孫の名を継ぐ道士や一日に万里を駆ける仙術が出てくるところ、そして108人の守護星の星の名前が封神演義との対応関係にあるのがいい感じの繋がりっぷり
8.以降:世界史程度の知識しか知らん。興味もない

ちうわけで、それぞれバラバラに読んでも面白いのですが、上記示したような繋がりを読み取ることができます。元々は私も『三国志』『水滸伝』(もちろん故横山光輝氏)が中心だったのですが、封神演義で繋がりを発見し、古代中国マニアになって今に至るわけです。

で『陋巷に有り』は封神演義と以降の時代を接続するための位置としては抜群だったわけで、読むに至ります。
まあこれだったら『論語』の方が正道ではあるんでしょうけど、表の孔子だけではなく裏の顔回も記述されているところ、封神演義から続いた礼や仙術の系譜としての要素は強力なのでこっちの方が好きです。
孔子と言えば「怪力乱神を語らず」と鬼道や呪術・神々など超自然について否定していたと言うのが一般的な認識ではありますが、知らなかったと言うのではなく、知っていたが故に語ろうとしなかったというところ、うまくまとめられています。孔子自身が魯の国の呪術師の村長の息子として産まれている故に知らぬはずはなく、知りつつも「礼」を通して鬼神のみならず人とも通じ合うという発想を持っていたことが記述されています。ああ、もちろんフィクションであって実際そうだったってことではないんですが。