『ぷちナショナリズム』- 続続編

rx78g2004-10-23

ぷちナショナリズム症候群―若者たちのニッポン主義 (中公新書ラクレ)

ここまでは屈託のないナショナリズム、マインドとしての普通になりつつある気持ち悪さを論じてみましたが、この原因としてはやはり社会に対する不安と言うものがあるかと思います。とにかく最近は「それまで当たり前だと思っていたもの」の崩壊が多すぎます。日本の治安は安全だと思っていたのにオウムによるサリン事件でそれは崩壊し、9.11によってアメリカの絶対強者としての立場も崩壊、預金を安全に預かってくれているはずの銀行の相次ぐ統廃合、オチをつけてやればずっと食べられると思っていた牛丼が食べられなくなりました。最新のニュースで言えば、プロ野球球団の一リーグ制や買収問題、挙げていけば枚挙に暇がないことはわざわざ説明するまでもないでしょう。


心理学的にはこのような現象(不安、ストレス)に対して解離性障害というものが発生するようです。顕著な例としては多重人格ですが、ここまでいかなくてもアイデンティティを解離させることでストレスに対処するというもの。前回の香山リカ氏の本では日本社会においてこの解離性障害が発生していると論じていました。面倒なので詳説は省きますが、この解離において問題とされることがあるとすれば、ストレスや不安そのものを(統合された人格の中で)悩み、分析して対処できないことにあるそうです。
とにかく不安だからナショナリズムを標榜する人格を作り、それに依存することでかろうじて対処できている、そんな不安を今の社会には感じます。


ここまで論じてきましたが、ナショナリズム自体を否定しているわけではありません。冒頭でも述べたように相次ぐこれらのストレスによって日本の社会及び個人それぞれの選択としてナショナリズムを選んだだけかもしれません。外敵によって身内の絆は高まると言いますが、不安要素に対し「日本国民」として団結して戦い、勝利しようという意志かもしれません。
電車男」に感動した某友人はネットを通じた赤の他人同士での団結・共同作業に驚いたと言っていましたが、ネットがあることによって上記の現象は加速、あるいは顕在化したのかもしれません。


かと思えば、NEATのような連中(敢えて悪し様に罵る無礼を働きますが、まあ彼らは働いていないけどね。)がいて団結を乱す輩もいるような気もしますが。まあそれは個人の対処行動としては仕方ないのかなと思います。一方では増加しつづけるリストカッターなんてのも考慮に値しそうな気もします。まあ別に私は心理学者でも社会学者でもないので考えるだけで、身近な問題にならない限り何もしませんけど。
というスタンスってのもどうなんでしょ?