報われる日は来るのか?

『北方水滸伝3−輪舞の章』
水滸伝 3 輪舞の章 (集英社文庫)

昇華する反逆の賦、裂帛の北方水滸、第三巻。
楊志は、二竜山の賊に破壊された村から孤児を拾い、
楊令と名づけた。そして賊の討伐に向かうが。
一方、少華山の史進は、頭目として活躍していたが、
心に弱さを抱えていた……。(解説/逢坂 剛) 

いよいよ梁山泊ができ、ぞろぞろと英雄達が集結しつつあるこの章。まあぶっちゃけ安定期に入った感じではあるけど。


そして、青面獣楊志が、行者武松が帰ってきました。

楊志は偉大な軍人の子孫であり、自身も優秀な軍人ですが、それ故朝廷に叛旗を翻す事を躊躇っていたのです。戦士は戦うことが宿命だが、戦う意義を失った戦士はとても悲しい存在である。が、民のため戦う決意を固めて義勇軍の頭領となります。


一方武松は愛する人を殺してしまった後悔と悲しみから立ち上がり、表舞台に昇ります。
ただ、
「忘れてしまうことが悲しい」
武松にしろ林沖にしろ、愛する者を失った傷は深いのですが、二人ともこの一言をもらす。
忘れる事は癒しでもあるかもしれないけど、でもそれは同時に悲しいことでもあるのか、と。
してみると、もれなく失恋中の私にだってさもありなんかもしれない。早く忘れたいとは思うけど、忘れることが良いことではないんだな。傷跡は残り続けるからね。ただ、癒されたいだけなんだろうな。


湿った湿った(笑)

でもって、今回は敵の姿を明らかにし始めているのがポイントかな。

原作およびマンガでは数は多いけど腐敗しまくった禁軍という描かれ方をされていたけれど、腐敗しまくった政治を外からではなく、中から憂える人もいたわけで、梁山泊の相手はこいつらということになる。互いにいい国を作りたいという目的は変わらないのに、ぶつかり合わなければいけない宿命とは悲しいですな。いずれ話が進んでいけばこの衝突と葛藤が描かれることになるのでしょう。わかりやすく言うと逆襲のシャアにおけるアムロ・レイシャア・アズナブルのように。急ぎすぎなんだよ!