哲学するアーキテクト

今日は脳波を測定しました。別に脳に問題があって幼女にいたずらしたので裁判における物証を提出するためとかじゃありません。

隣の研究室にて手軽に(といっても冷蔵庫位には大変だが)脳波を測定する機械が回ってきたのでタイピングにおける脳波の状況を測定するために実験台になった次第。ちなみに実験台であることに気がついたのは脳にたくさんコネクタをつけた後でした。

測定方法としては近赤外線によるもので、脳内のヘモグロビーンを測定するらしい。

まだ結果送られてきていないので考察はまた今度。大変だったのは測定中よりも測定のインターバル。脳を通常の状態に戻すために、視覚・聴覚などに注意を払わず、じっとしてなくちゃなりません。

オイ、これ軽い禅だよ!


などと言う風に脳の状態と禅が結びついた状態で午後は情報システムの大先生と雑談。話は暗黙知」「形式知」そして「経験知」の話。暗黙知形式知はよく言われているけど経験知について考えたの初めて。

と考えると暗黙知が何かを説明するのは容易いけど、暗黙知を意図的に蓄積していくのは難しい、と言うか論理的に無理。自覚した時点で暗黙知じゃないってのは基本、そして更に蓄積していく暗黙知と経験知の境目が不明瞭。


よくマンガなんかで、自然に体が動いてしまったシーンがあるけど、(今週の『アイシールド21』でモン太が一休に勝った瞬間。最近一番面白いマンガはこれと『絶チル』なんですけど。)これって経験知が暗黙知になった瞬間ではないかと思ってみる。


結局は暗黙知は経験知の集積なのか?でもそれがどうなってどういうきっかけでそういうメカニズムになるのか。暗黙知をどのようにしてコントロールするのか?


などと考えていたら『情報アーキテクチャ特論2』が始まってしまったよ。
話を聞く集中力もあり、質問なんかもしてみたりした、なんかブレークスルーしたかも、暗黙的に。