久しぶりに武士ってみた

『武士道』著:新渡戸稲造 訳:奈良本辰也
武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える   知的生きかた文庫
『いま新渡戸稲造『武士道』を読む』志村忠夫
いま新渡戸稲造「武士道」を読む―サムライは何を学び、どう己を磨いたか (知的生きかた文庫)

ということで武士気取るならこれを読まないと始まらないだろうということで購入して読みましたよ。

でもって、今までのように一冊まるごとではなく、一章ごとにわけます。そしてかつ志村氏の解説本も加えて、まとめていきたいと思います。すげー、超本格的だよ我ながら


<第1章>武士道とは何か

まずは最初の1文

武士道は日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土壌に固有の華である。わが国の歴史の本棚の中におさめられている古めかしい美徳につながる、ひからびた標本の一つではない

この堂々として高らかなる宣言はどーよ!

刀もなければ戦もなく、君主もいないこの世の中にあってもなお、武士道はある。こう述べるこの潔さ。あるかないかを論じるのではなく、どうあるべきかを論じなければいけないのですよ。武士道には成文法はない。明確な決まりがあるわけでもない。しかし、形がないのに、というか形がないからこそ我々の行いの中に生き続ける。ということ。


ちなみに序文としてある外国人夫妻と新渡戸"五千円札"稲造のやり取りをきっかけに『武士道』が著されたとあります。

外国人夫妻「キリスト教のような宗教教育がないのになぜ日本人はそんなに礼儀正しく、道徳的であるのか?」
新渡戸「武士ですから」

と言ったかは定かではないにせよ、当時(後から見ると日露戦争後)の日本人の道徳的な点は外国人にも高く評価されていたそうです。その源を武士道にあるとした上で、それが何かを解説していこうというのがこの本の趣旨。

ということで、この本のターゲットは外国人向けです。なので、騎士道との比較がこの章で行われています。類似点は多いけど、唯一の違いは女性に対するスタンスです。一般的に騎士と言えば姫君を守るもので武士と言えば主君に忠義を尽くすもの。じゃあ女性にとってどうなん?てのは後述しているけど、騎士はモテるけど武士はモテるとは限らないってのが個人的にFA。


ただ、騎士道であれ武士道であれいずれも戦士にとっての徳目であるのであれば必然的に「人を殺す」という行為がつきまとう。原罪って奴でしょうか。生まれながらに持っている拭えない罪。ガンダムが好きなのもファルコムが好きなのもそれは生まれながらの罪です。生い立ち等の後天的なものではありません。言い切ってみる。


うーん、面白くならないなぁ。