起業家精神(駄文)

(駄文。ちょっと自分用の頭の整理に)

まあ拙者生まれも育ちもSFCでございますし、サークル時代にはアントレプレナーシップという言葉については対ボビー戦の曙並に真剣に取り組んでいたものですから、こいつが何たるかについては摑んでいるつもりです。


もちろん、これみよがしに起業する事を目的として起業して「俺ってすげーぜ!」なぞとする程自意識過剰ではないので、マインドを持ちつつたった一人でIT業界で踏ん張る位が実際には関の山だったのですが・・・


ここに至って世の中の動きが追いついてきた気がするのが実感

  • SFCの考えていた「問題発見・解決」教育が根付いてきた
  • NEETの増加
  • AO入試の増加(実際約半数がAOとしたいらしい)
  • 「ゆとり」教育の見直しby文科省

まあざらっと挙げましたが、起業家精神をキーワードにして説明、あるいは解決し得る事態になってきたのであります。


特に起業家精神NEETなんて対極にありますがね。だから逆にNEETにイライラするのか、私は。
AO入試についてですが、これも行き着くところは一芸入試にならなければ結局のところ問題発見・解決能力を見る(どう見るかは別の話として)でしょうから今に高校生の段階から起業家精神を養うということが行われる−もちろん言葉は違っても−だろうと言う事はできます。
ゆとり教育にしたところで、結局学校・先生任せの適当教育でかつ学力向上にも貢献しないってんだったら、その時間を勉強へのモティベーションを養う時間にする事は容易に想像がつく話


てえことで、世相を見渡すと鍵は起業家精神にあるのかなと言うことができるわけです。もちろん、ここではできないから敢えてしていないけど起業家精神と言う言葉も定義しない、曖昧なまま一人歩きするリスクも考慮する必要はあるんですが。
他にも誰がやるのかとか、そういった手法でやるのかという問題は尽きないのですが、そこら辺は駿台やらリクルートやら文科省やら教育学会やらに任せておけばよろしい、って言うほどにはイマイチ頼りにならない。特に文科省


まあ別に難しいことじゃあない。起業家精神などと言ったところで、要はちょっと前有名になった『ドラえもん』最終回は一つのモデルケースになり得る。マンガだけどね。
未来から来たっていうフィクションにさえ目をつぶれば、ドラえもん復活のために必死に勉強するのび太の姿なぞはわかりやすい。きっかけは何でもいいから、何かやりたい事が生まれ、その思いを育てる場所・機会があればいいのだ、という所に行き着く。


ややこしくなるのは、これに金が絡んできた時。最近ライブドアというかホリえもんの向かうところはライブドアautoあたりで非常に不鮮明になりつつある、というか有り余る金で企業買収をしている頃からそもそも不鮮明だったんだけど。結局起業して儲かるとああなるんだな「ああ、あれを成金といふのか」なぞ思いける(いいたい事が極まってくると古語になる癖)
もちろん、彼が勝ち組なのは明白だから負け犬の遠吠え結構。負け犬上等。

なにが言いたかったかというと、高い理想・純粋な夢も金で汚れるっていう事?いやいや。


夢だのやりたい事っつうのに巡り会わなければいけないってことなのだろうか。翻って自分の場合はそれがあるわけではない。一方で今の研究室はともかく、かつてのサークル連中はやりたい事に出会い、そのために三畳一間のウサギ小屋で夢を語りながら戦い続けている。でも自分は2DKのマンションで暖房器具をつけずに頑張っている。つーか、さみーよ!風邪ひかねーよ!

ああ、大丈夫。俺まだ腐ってないや。


まあ、最終的にコレが確認できたから自分的にはよしとするか