生き方からして自顕流でありたいが、それも無理というもの

『薩摩の秘剣 - 野太刀自顕流』 島津義秀
薩摩の秘剣―野太刀自顕流 (新潮新書)

示現流という剣法があります。いや実際に。
これは剣法は知る人ぞ知る九州男児の必殺剣であります。るろうに剣心では雑魚が使っていましたが、本来は一刀にて全てを叩き斬らんとする漢の中の漢剣法であります。最近ではゼンガー・ゾンボルト氏が使っていたのが記憶に新しいところ、ゲームのキャラクターじゃないですか!


ところが九州には、この示現流とは別にもう一つ自顕流という剣法が存在していた!
というのがこの本の内容です。いやそんなもったいぶることでもないんですが、ただ全く別の剣法というわけではなくて、一時期名前を貸していたり、自顕流の師匠が示現流の弟子だったりして別人というよりも兄弟に近い剣法です。

まあ、とはいえど実はそこは本質ではなく、この本は自顕流という剣法を習得した薩摩人が戦国から幕末までいかな活躍をしたか、そして自顕流に込められた薩摩人の心意気が語られております。著者の方も島津家の家計に連なるお方です。

武士だの剣術などと言ってしまえば、笑われるだけかもしれませんが、でもそれを殆ど忘れてしまった現代、強い心を持てない大人が卑小卑劣な犯罪を犯し、そんな大人に教育されている子供が引き篭もったり、重犯罪を犯します、なーんて事を考えながら読んでました。
特に青雲舎など薩摩独特の教育の仕組みであった舎に関する記述は興味深かったです。ボーイスカウトの源流とも言われており、ボーイスカウトに似ています。
私自身振り返ると、小学校2年生あたりから剣道を始め、今はほとんどやっていませんが、先輩から礼儀作法やものの道理を教わり、そしてまた後輩たちに礼儀作法などを教えておりました、なんてことを考えると、最近こんなコミュニティってあるのかなと考えさせられます。
地元の少年野球なんかそれに近いんでしょうけど、所詮スポーツですからねぇ、と一発喧嘩を売っておいて、問題提起とさせていただきます(偉そう)。