『ぷちナショナリズム』- 続編

ぷちナショナリズム症候群―若者たちのニッポン主義 (中公新書ラクレ)
さて、前回人事ならずナショナリズムの芽が見え隠れしている昨今をお伝えしましたが、まあナショナリズム自体悪い事かというとそうではない、愛国心を持っている事が何が悪い?むしろ今まで日本人はマトモに持っていなかったわけだから、国際社会への仲間入りとも言う事が出来ます。
じゃあ何が違和感があるかと言うと、「屈託のないナショナリズム」とこの本で述べているあたりが正体なのかな、と。つまり、愛国心を持つことに何の躊躇いも感じない、日本語が世界で最も美しい言葉であることに何の躊躇いも感じない、北朝鮮を嫌うことに何の躊躇いも感じない、それで朝鮮の人たちに無礼・暴行を働くことに何の躊躇いも感じない、しまいには外国人を排斥することにも何の躊躇いも感じない。
この「思考停止」はかなり怖いかなと思っています。


昨日の台風で私は東海道線を使ったんですが、当然混んでるし2,3本遅らせないとマトモに乗れたものじゃない。そんな状況を思考して把握する(まあ大層な思考じゃないですけど)ことなし自分が乗る事だけ考えて割り込み、止められると怒鳴り散らすオジサン共。恐らく50代。
ええ、この思考停止は若い人(私とか)に限った話ではないんですよ(と再確認したのですが)。「私は仕事で疲れてるんじゃ」とか当たり前の言い訳で思考停止して自分は当然乗れるものだと何も考えずに割り込みをする連中、「キレる大人」。アホ。なんで貴様が既婚で俺が独身なんじゃぁ!?(言いがかり)

つい、力が入ってしまいましたが、思考停止して躊躇いを持たない。これが「屈託のない」と言わしめるものであり、私の違和感の正体だったっぽい。


フィットネスでストレッチ1時間しながら更に考えると「普通」という言葉に行き着きました。と言うのが見えてきた。つまり思考停止した後の結果は「普通」。
ところが、この「普通」ってのは「普通にサラリーマン」とか「普通にCHEMISTRYとか好き」というのとも違う。「普通にナショナリズム」「普通に死刑廃止論者」「普通に内閣改造に賛成」「普通に就職活動」。どうも職業・趣味・嗜好と言った表面的、装飾的なものではなく思考・思い・マインドと言った深いものに対して「普通」があり、そこに行っている気がする。
思えば、石原慎太郎知事だったか小泉総理だったかどっちでもいいんだけど「民衆が(「普通に」)思っている事を正直に代弁する」あたりが人気の秘密だったとか言う本をどこかで読みました。政治家としての支持ではなく「普通への共感」を投票率なり支持率に置き換えているっぽい。


この「普通」と言う言葉に拘る私もどうかとちょっと思いますが、要は「普通に思考停止して普通のマインドを持つ」ってのが嫌いだったらしいよ私。自分、不器用ですから(高倉健)。
(余談ですが、以前ごく近い知り合いに普通に思考停止する人がいました。女の子だったんだけどちょっと苦境に立つと「どうしよう」とか思考停止して泣いて台風が過ぎるのを待つ。フラレたのは彼女が持つ「普通マインド」を私が実現しなかったからでしょうね。一部に)